2012年10月18日木曜日

「爽快に続け! 倉高健児ゴルフ」&引退「うるさジジイ」の繰言

              

                                              阪東湖人


 メールで倉高健児ゴルフ世話役の某君から年次ゴルフ案内。いつもは封書の案内状なのに~と思い読むと「手紙が宛先不明で戻った」という。とりあえず「ご手配、いつも忘れず、恐縮の限り~~しかし、ゴルフセットは処分しました」と返事した。でも拙宅を宛先不明とは~~某君手紙、住居番号末尾が隣家となっていただけ。かつて、はるかアフリカ・ジンバブエに手紙を送った。半月経って「宛先不明」で戻った。こちらの手落ちで、英国式私書箱の番号末尾1か2を間違えた。旧植民地はこんなものかとあきらめたが、今回、ご当地郵便局での「アフリカ程度」の扱いにはビックリ。

 早速、日本郵便株式会社にメール。「~~郵便局はアフリカ奥地並み。拙宅には自慢じゃないが連日、税金督促状や、未納会費請求が届く。配達員は左手にそれを持っているはず。~~郵便局は近衛公の別邸脇、栄えある特別局だったはずだが、いまや場末。現状サービス、アフリカ並みを脱却すべく、ご本社より~~郵便局長以下に叱責と督励方を切に望む」と(むなしくも)遠吠えした。
 それには某君から、「~~いささか穏やかじゃないね。うるさいじじいになりつつあるね。老化現象は着実に進んでいる。なにごとにも些細なことには目をつぶり穏やかにね」との”お叱り”を頂戴した。
 
 いやぁ、ゴルフ~この倉高健児ゴルフなら、実に「小春日和の爽やかな青空のもと同窓の仲間とともにワイワイガヤガヤ」と楽しめるのだが、かつて自慢した1,2,7番アイアンも親類の若者に譲ってもうない。

 おまけに老化現象は着実に進んでいる。思えばゴルフ、よくやったな~~と思う。ここで一度だけ、わが総括、「爽快に続け! 倉高健児ゴルフ うるさジジイの引退繰言と思ひ出」を是非お許し願いたい。まぁ、うるさジジイの繰言、たわ言は無視、諸氏の写真だけ見て貰う手もあろう。

 大宅壮一が「緑の待合」と言った日本ゴルフ。企業社会ではわたしも接待ゴルフを拒む野暮はなかった。ゴルフ後のサウナ&マッサージ、寿司屋、そして高級クラブ。ハイヤーで帰宅。一方で異常なまでの「エチケッ
ト・ルール」。市民生活で紳士でない奴ほど「エチケット」「エチケット」と騒いだ。
 コンペの「エチケットリーダー」も戦中翼賛会の臭い。わたしのいた、戦後成り上がり企業の社長は、「自分など、”財界人”としてはキャディ上がりの身~~」など抜かし、東京ビジネス界で失笑を買った。

 拙宅近所には青木功がそのキャディだった名門ゴルフ場があり、最寄駅では特権階級の名残なのか、揃いの舶来ブレザーに大そうな革鞄という、日本独特のゴルフ紳士達にいまもよく出会う。メンバー様のゴルフセットは倶楽部保管で、ビジターは宅急便が今日。JRはグリーン車利用。
 若き日の昭和天皇が三つ揃いで楽しんだ時代があった。その「大正時代の野球帽」風シャッポ姿までくだけた現代ゴルフ。でも行き帰りは、ブレザーにステータスシンボリックな革鞄。東京駅ではスチュワーデスじゃあるまいに、3人分の足場を邪魔するゴロゴロキャスター付キャリーバッグを転がす旅オヤジがいる一方、ゴルフ紳士は重い革鞄を下げ、(アレなら楽なのに~と)ゴロゴロバッグを横目でにらんでいる。

 「ゴルフケース」はとうとう、日本では未発達。アメリカではゴルフバッグでなく、ハードケース化した「ゴルフケース」がゴロゴロキャスター付き。そのままゴルフカートに積む。またカートはコースの中を、ミズスマシのように左右、斜め上下、自由に動けるのも日本と違う。カートは目線が高いので、ロストボールもよく見つかる。1プレーで1ダースは拾える。服装はNYですら、プレー中も帰りも一緒だったり、まちまち。ジャージ姿も。

 ゴルフ場近くの家から幼い少年が、濃縮ジュースを薄めて入れたポリタンクを抱えて現れる。生温かい1杯が1ドルとは高いが、幼児から自活を教えるのがアングロサクソンだ。「お金を集めてポキモン(ポケモン)を買うんだ!」と言ったこのティミー君。離れた場所から、じっと見守る親がいた。

 環境配慮「ティー」は木製でメーカー宣伝ロゴ入り。米東部で南部進出日本食品メーカーのロゴ入りティーを拾ったときは、本邦企業戦士の営業活動に感激した。以来あちこちティーショットの場の、打ち損じで埋まっているティーを掘り出しコレクションにした。
 またかつて五大湖とリンクする鉄道の要衝、中西部ミネソタでは、巨大な貨車操車場と機関庫が土盛りされ、ゴルフ場に。ここでのプレー、機関庫屋根上からの打ち下ろしと、遠景には北米大河ミシシッピ。はるか2000キロを下りメキシコ湾に注ぐ、その雄大な流れとともに忘れられない。

 欧州大陸フランダースの真冬、スパイク付ゴム長を履いて薄氷シャーベット状のグリーンでボールを転がしたが、凍結ボールはすぐ止まって進まない。石畳に入ったOBボールは、とんでもない方向に撥ね、行方不明に。このスパイク付ゴム長とは、羊を追う牧童が、長い冬に使うものの転用だ。
 南半球シドニーで買ったカンガルー1枚革のゴルフシューズは、フランダースの酷寒でパックリ割れた。またニュージーランドでは、アイアンだけ使用可のゴルフ場があった。相当広くとも、ウッドは奴らの腕力ではコントロール不能、どこまで飛ぶやら~~

 一方、南洋では椰子のささくれ立った高い幹にボールが刺さった。また茂った熱帯樹のどこかにとどまって落ちてこないボールも。

 キャディが高価なクラブを、すり替えたりの話、中古ボールを新品に塗り替え加工する技は、元駐在員同窓諸氏が詳しい。「ティー」はプラスチック製輸入品で品薄。携帯ストラップのように紐をつけ、ショットで飛ばしてなくさないよう大事に使った。
 ゴルフ銘柄ではない、ホンモノ毒蛇コブラには二度も遭遇、陸軍演習場隣接のコースでは、「パリパリ~ダ、ダ、ダ~」と乾いた音がいつも。機関銃実弾を撃っているのも南洋ボケで気にならなかった。酷暑の下、スタミナ飲料には「リポビタン」のドイツビール割り、アボカド・カカオ割りジュースが一番だった。

 その南洋、グリーン以外では、かつてはタンポポ状の草が敷き詰められた。現在ではティフトン芝に替えられたと聞く。でも印度亜大陸インダス平原パキスタンでは、タンポポ状のまま。全土がゼネストの日は仕事にならず、日本の友人とゴルフしたが、ベテランのはずの彼よりもわたしのスコアがよかったのは、タンポポ状の草を熟知していたから。ゼネストで荒れた大都市カラチでの死者、重軽傷者多数とは、のちに知った。

 明陵関東でも拙宅近くで定期的にコンペをおやりの様子。でも、先輩後輩の階級社会、「エチケット」に「日本独特のゴルフ紳士会」の雰囲気やに~~
 老化現象は着実に進んでいるわたし、嗚呼、倉高健児ゴルフの良き思い出、和気あいあいで実に爽快だった。でも、まだまだお元気な「倉高健児」のみなさんは、これからも是非続けてください、新規参入もいいでしょう。なんたって「エージシュート」到達圏なんですから。

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