2010年8月27日金曜日

「あれが本当の豊前うどん?」~大門電停裏にあった河口屋

 讃岐うどんの全国制覇ぶりはテレビでよく紹介される。東京でも、神田駿河台下の讃岐うどんの店はテレビ登場以前から評判。そこから少し歩いた裏通りに「豊前うどん」の店があった。豊前の名に「あの味では~」との期待を持って入ってみた。でも、何のことはないごく普通の味。あの味とは、小倉大門電停裏にあった「河口屋」のうどん。当時からして少々汚い大衆店で、霜降り服生徒のたまり場。半世紀後のいま、関東15期同窓会で話題に出しても知るものはない。
 河口屋は自宅とは逆方向なのに、その味をおぼえ下校のときよくかよった。当時九州では珍しい「タヌキうどん」もあった。客それぞれの粗末なアルミ鍋を小さなガスコンロにかける。うどん一玉分がグツグツ煮込まれ、ツユが煮立ってこぼれると、そばのカメからヒシャクでツユを注ぎ足す。伸びてしまうと心配するほどさらに煮込む。それでも”コシのある”うどんが出来上がる。
 この評判の河口屋では、従業員が店主とケンカ別れし、その元従業員が勝手に名乗る河口屋が銀天街にも出来た。生来の好奇心からこの店も覗いてみたが、大門の店とはツユの深みが違うどころか、ニガミすらあった。本店のおばさんに伝えると、「この店の味を出せるわけがない」とつぶやき、アルミ鍋のうどんをかき回した。そのうち、「元従業員が河口屋を名乗って営業しているが関係なし。当店の味は他の追従を許しません」との張り紙。実に大らかな時代だった。河口屋のあの味にはその後、お目にかかったことがない。
 大門電停裏の通りの奥と書いたが、実はこの裏通りこそ旧長崎街道。往時は小倉城下の天下の通りには当然、歴史がある。この旧道にあった中学(思永)同級生の古い店構えの「柴田提灯店」の方は、インターネットではいまも健在のようだ。また旧小倉駅前にはかつて同じく同級生の実家、三徳うどん店があった、ここはまた河口屋とは違った煮干味の記憶がある。
 「あれが豊前うどんの本当の味だったのでは~」と、思い出す河口屋。そういえば、英語の小峰先生は、真夏の倉高食堂で冷やしうどんを食べている生徒を睨みながら「オーイかけうどん、ツユはうんと熱くしてな!」と注文したが、先生は河口屋をご存知だったのだろうか。
(阪東湖人)

2010年8月22日日曜日

海底トンネル貫通

新若戸道路の海底トンネル部が貫通した。道路の開通は12年度予定。
以下、朝日新聞の記事(2010年8月22日)
http://mytown.asahi.com/areanews/fukuoka/SEB201008210024.html