2011年5月11日水曜日

「われわれの歳になれば 人生を織りなす糸模様も〜〜」

阪東湖人

 「どこもかしこもオマワリさんだらけ。起業祭の八幡を思い出す〜」とは、ビンラーディン事件後、報復を恐れるニューヨーク。これは東北大震災その後の様子を地球の反対からたずねる同郷人の電話での余談。その東北大震災に「悲しみを共有します」とのメールは、在欧州の英国知人。まったく世界はリアルタイムです。

 ところで芸人さんたちが次々に東北被災地を慰問。売名であっても、被災者にささやかでも充足感を与える様子は貴重。歌手の加藤登紀子も慰問演奏を行いました。彼女の生き方としては当然。ふと考えました。われわれの歳になれば、いろんな人との接点を得て、生き方を学ぶことがあることを。

 古い話になりますが、40年以上前の「満洲の集い」という東京大手町での催し。当時のタレント、丹下キヨ子(覚えてますか?)という怖いオバサンが進行役。そのとき無名の学生歌手の加藤登紀子が、ギター弾き語りで「ひざ小僧が寒い〜」を紹介。続く大物俳優森繁久弥は多忙で登壇なく、あの「知床旅情」とメッセージを留守番テープで流しただけ。会場はブーイングの嵐。でもその後「知床旅情」は、加藤登紀子の持ち歌ともなりました。

 丹下キヨ子、森繁、加藤登紀子のいずれも中国東北部(旧満州)に縁があった人物。かく言う私もその1人〜それは置いといて〜わが会社人生では同僚に、かの地で加藤一家と隣同士、戦後もずっと交流が続くE君がいました。

 さらに会社にはもう1人のA君。彼は代々木西原の小学校で、あの大女優と同級生。テレビでJR東日本のコマーシャル、駅のポスターにも登場する大女優、小倉高同期にも大ファンが何人もいます。昔、石坂洋次郎原作の「草を刈る娘」などの映画にも出たし、何かと縁がありそうな女優さんですが、東北慰問の話は聞こえてきません。

 社会派の作品、古くは「ああ野麦峠」、近年は「母べえ」などの作品に、ヒロシマの語り部という人間性を問う活動で知られる大女優、その演技はいずれも歴史的社会事実に基づくものですが、一方、現実の場は得意ではないと拝察します。加藤登紀子、大女優ともに入学は同じ都立高で一学年違いのようです。

 加藤家との楽しい思い出話を、E君と出張が一緒の際に聞きました。一方、A君は「変なオヤジだった」と大女優一家に好意的ではありませんでした。あるいはA君、かわいかった同クラスの娘にちょっかい出し、父親に警戒されたのかもしれませんが〜〜ああ、ひとそれぞれに、人生を織りなす糸模様もさまざま。それが人間社会なんでしょうか。