2013年1月26日土曜日

小倉南区と北前船とに縁 徳光和夫氏「ファミリーヒストリー」

               


                                              阪東湖人

 
 「同期生共有ブログであるべき場を、我が物顔で独占!」と批判これありの晩秋。「嘉田のオバチャン・ヨイショ!」を最後に、ブログ電子筆を絶ったわたしでした。が早春、NHK放映「ファミリーヒストリー」に徳光和夫氏の巻。小倉南区徳光、北前船、郷土史家の稲津義行先生再登場~~いやこれぞ、わが異端ブログの最終章と再発念、あえて電子筆を限定スイッチオンしました。
 稲津先生は半世紀前、菊陵、思永中に在籍。2012年8月10日掲載の『稲津先生は"暴力制圧型"体育教師でなく原田泰造風でした』は意外やアクセスも多数。また最後の小倉中生、黒崎在住の大先輩も脳老化防止には「汗、恥、文字をかくべし」と、ブログで説くことにも勇気付けられます。
 立教出身の徳光和夫氏は熱狂を超えた狂信的巨人ファンと、わが対極。その野球すら~高校時代前半、三萩野に通いつめたのは「わが青春のマリアンヌ」と、スタンドで同席できる一瞬夢見心地からでした。
 また立教については、明治応援団上がりのオヤジらが「慶応、立教、文化学院は不良のガッコ」と、生前、譲らなかった。偶然だがこれに娘が、中、高、大学と立教に世話になるというアンビバレントな感情の中で、徳光とは?と「ファミリーヒストリー」を見始めて、思いがけない往時の”日本海新幹線”北前船の歴史展開に吸い込まれたのでした。

 まぁ、以前同様の悪癖に加え、老人粘着性症候群を発症~~前置きが実に長すぎるのはスミマセン~~
 で、ファミリーヒストリー徳光和夫氏の現ルーツは北海道江刺で縁者も存在します。しかし徳光という地名が、日本全土でも小倉南区徳光にのみ残り、加えて徳光和夫氏も「オヤジが先祖は大分(豊州)出身と言った」と語っています。まぁ、小倉は旧豊前國でありますから符合も致します。
 徳光村は紫川沿い。往時は小倉港との間で河川交通もあった。 
 稲津先生の解説では、「長州藩との小倉戦争で疲弊した(豊前)徳光村民が北前船で北海道に渡ったことはあり得ること」としていますが、それ以上は判明しない様子。一方、わたしには昔、菅生の滝への遠足のときでしたが、「徳光」という西鉄バスの行先表示の記憶があります。

 さらにテレビ、石川県能登に徳光集落があり、一村の多くが徳光姓であること。この能登の地が徳光和夫氏の遠い先祖とつながりました。このキーワードが実に大坂~瀬戸内~門司田ノ浦~能登~江刺を結んだ北前船。
 ところで話は近世ですが、門司のあのK画伯、「先祖は名立たる廻船問屋~」と同期生の奥方が言っていたし、同じく、現北九州で活躍のS女史(後輩)の実家も、廻船問屋だったと聞き及びます。大正時代には九軌(のち西鉄)支線が門司田ノ浦まで伸びていたのも、この北前船の名残でしょうか。

 石原慎太郎の小説で昔、テレビや映画化された「青年の樹」登場人物のモデルが、現横浜財界人にいます。Fu Y夫氏は、港湾関係、球場、FM放送経営と多忙。わが現役時代一度、仕事で会いました。この横浜財界人、なんと同期Fu M夫君と名が一字違い。

 同期Fu M夫君の場合とは、まぁ他人の”そら似”でしかないでしょうが、この横浜財界人Fu Y夫氏の自叙伝では、ルーツは福井の何とか村で、一村ごとFuという苗字。父親は横浜で沖仲士上がりだといいます。

 徳光和夫氏の祖父は日露戦争後、港町神戸に。また横浜財界人Fu Y夫氏の父親は横浜に来た。北前船の世界は、このようにやはり、港町との濃いかかわりがうかがえます。まだまだ~~北前船がもたらした文化風俗類似点。北九州でも昆布多用とか、京都のバカ高いイモボウの原型、正月に干鱈をもどし、甘辛く煮た食材とか~~会社時代、北九州と同じ話し方をする後輩がおり、「あんた、同郷ネ?」と聞いたら「新潟デス」ということでした。同じイントォ~ネ~ション、これもまた、日本海北前船文化の名残でしょうか。

2012年11月10日土曜日

晩秋に遥か故郷を想う わが猫額庭の「はぐれアサガオ」 

              
                                              阪東湖人


 
 イヤハヤ、わが猫額庭「はぐれアサガオ」のド根性ぶりに敬服!!デス。
 いまだに、小さくも花を咲かせています。人間も、かくありたいものです。

 オタク、マニアが勝手に独断を書き込む、かなり、いいくら加減な「ウィキペディア」ですが、以下の記述がありました。
~~日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた~
 ~まぁ、信用しとこや。
 写真右側にあるチョイト違うツルは、これまた、はぐれゴーヤ(苦瓜)のイタイケナ姿。さすがこの季節では結実はなく、初冬に消えていくでしょう。

 後ろの紅葉は、懐かしや北米原産のハナミズキ。東京大手町のビル群の谷間の植木市で購入。
 
 鉢植えを下げ、新三河島の京成電車ガード下の焼肉の金龍苑に入ったら、あの琵琶湖の知事サンのような婆さんに睨まれた。
 この付近~太古には古利根(現墨田)が流れていた。中世ロマン~「七重、八重~太田道灌の山吹の里乙女伝説候補地」大雄山泊船軒も、そう遠くではないが、山吹の里乙女と、琵琶湖の知事サンとでは女性も両極端か。

 レバサシでは、本邦元祖とか言うオールド・コリアンタウンのこの店。京成電車のゴトン、ゴトン、振動が頭上から響くなかで、通ぶってイロイロ食したら婆さんご機嫌回復~ところが「焼肉でガスコンロは一回だけ。二
度は着けないからネ。焼肉も同じものの再注文は駄目!」と、これまたなんや、天下をうかがう琵琶湖の知事サンお得意の”モッタイナイ”の独裁風客扱い。

 それでも食後は「ハナミズキの鉢植えを下げ、いかにも堪能したオッサン風わが後ろ姿」を長いこと見送ってくれた婆さん~~~もう数年前の話。風の便りではこの店、京成電車の高架改修で閉店したとのこと。また、レバサシもご承知のように巷からことごとく消え、さびしい限り。

 ところで故郷とは”板櫃川勉強堂”の誉れ高き、愛宕が丘の学区をはるかに離れた、旧八幡高のお膝元、奇しくもその板櫃上流となる大蔵渓谷にある大蔵小学校。その上に勝田神社。さらに勝田公園とあり、展望よく、いまもあるのか~~椿の名所でもあった。
 「勝田サンの椿の根元から湧き出す清流は眼病に効く」~と、わがご先祖サマたちは信じていた。上流は製鐵の河内貯水池になるこの大蔵川。歴史的に変動はあるが筑前・豊前の国境。また神功皇后神話の里でもあった。
 
 大叔父は、後輩エリートに次々に追い越された安川電機のマンネン課長。でも、これまた神功皇后神話を誇りとし、「なんと言っても、うちは大蔵神社(乳山神社)の氏子総代なんだからなぁ!!」と酒席ではいつも上機嫌。
 (安川で手に入れた)「上等のスコッチ飲ませてやる」と言うのでご相伴。そのオールドパー、二人で三分の一ほど、きこしめしたら「もういいだろう」と、さっとサントリーにすり替えた大叔父だった。 

 まぁ、この大蔵川と勝田公園向こう側の槻田(金山)川エリアにかけて、樹木を愛で、マッタリ暮らしたご先祖と一族。その血がわたしにも~~嗚呼、晩秋の大利根河畔寒風に、遥かな故郷を想うばかり。


2012年10月31日水曜日

湘南江の島界わい ものがたり(19) 漁閑期の”観光集魚灯”

                
                                              阪東湖人


 まぁ、江の島が「江ノ電島」と言われるその「シンボル」が、この「江の島シーキャンドル」(江の島展望灯台)。なんでも2002年、江ノ電開業100周年事業の一環で立ち上げられたそうです。そのシーキャンドルのライトアップ姿が、このほど「夜景サミット2012 in 長崎」で、関東三大イルミネーションに認定されたと、地元湘南では鼻高々です。
 この「夜景サミット」の関東の残り2つとは、当然、あの東京下町のスカイツリーもと思ったらゼンゼン~~!!
 東京ドイツ村(千葉県)、それに、あしかがフラワーパーク(栃木県)なんて、あんまりなじみのない場所でした。
 最近全国ネットで放映された、「B-1グルメ in 北九州」に比べ、はるか格下の催しみたい。それに、わが千葉にあるのに、なんで東京ドイツ村、それに、なんで千葉・成田にあるのに新東京国際空港なの?と、新たな疑問すら浮かんだのです。

 で、なぜにシーキャンドルが?~~晩秋、初冬の湘南、そりゃぁもう、富士山はくっきり見えますが、恋人同士のドライブ(古いデスネ)ぐらいでほかは、正月、ゴールデンウィーク、夏と比べりゃヒマの閑古鳥。それで考え出したのが、まぁ、江ノ電島の「江の島シーキャンドル」。12月1日(土)から、2月14日(木)まで、湘南の相
模湾に煌煌と照らし出される様子です。まぁ、言うてみれば漁閑期の”観光客集魚灯”ということです。

  「江の島シーキャンドル」~~なんや、和製英語のような~~でもご当地は、「We are Shonanian!」と、得意顔だったこともある土地柄です。湘南高校出身、今回の慎太郎老の都知事突然辞任での言動を見ればお分かりのように世間に対し、まったく物怖じしない、湘南族の土地ですから、何でもありです。

 まぁそういうわけでキンキラキン大好きだが、この湘南の地には、何か不安要素もあるのでは~~と懸念もしました。
 果たして、来年の記念同窓会6月6日、みなさま大宴会&お泊り予定の岩本院改め、岩本楼 www.iwamotoro.co.jp/はどうか。でもご心配なく。世話人団には元ホテルマン2人という業界専門家もいます。すでに「(火災など)万一の際の避難路」、「トイレの場所確認」と、実地検証を済ませ、万全の構えの様子です。

 なお、この右下写真のオジサンが、岩本楼の顔、49代目となる会長さんです。でも、愛宕が丘OGお姐さん方、フロントにはもっとイケメン社長の若旦那もいます。旅のムード”ぶち壊し”にはならないのでご安心を。それになんといっても、江の島は「江ノ電島」です。江ノ電グループが総力を挙げてお迎えする様子。老殿方にも十分なホステス???を、江ノ電島内でかき集めてくれるはずです。

 かの日~~平成10年8月、箱根高原のさわやかな空気のなかでの卒業35周年記念同窓会。花月園ホテルでの盛況振りを思い起こして下さい。今回も、おそらく総勢、数十人を超える、旧愛宕が丘健児&現マダムが集まる「卒業50周年記念同窓会」となるでしょう。
 その人波とは~~先輩12期生ホームページ「回覧板」の表現、奉行、会頭、院長、水先人、連合会長、酒豪、半酒依存人、下戸、徒歩人など多種多様の人種という言葉が一番でしょうか。現役時代のあの当時とは違って、多様な面々が集まり、多様な話題で盛り上がることと思います。でもご老体特有症候群の「病気、孫、年金」という三大自慢はやめましょうね。

2012年10月23日火曜日

原風景は「あしやからの飛行」  清楚な仏女優 その後は?

             
                                              阪東湖人


 「KLMオランダ航空が来年4月4日から、福岡ーアムステルダムを結ぶ定期直行便の運航を始めると発表した」と新聞にあった。こんなニュースを見ると、どうしても、あの北九州空港の存在が気になる。
 「これじゃぁ勝てない。”敵”はすでに1993年、地下鉄が乗り入れている」~~~その敵とは、もちろん福岡空港のことだ。ヨオロッパで一番進んだアムステルダムのスキポール空港地下には、おフランス・パリ北駅へ向け、時速300キロで突っ走る、欧州超特急TGV&ユーロスター姉妹版の「タリス」が停車する。博多の地下鉄と「タリス」が、なんともまるで”義兄弟”。

 悲願の北九州空港開港のいきさつは、みなさまのほうが詳しいので省略~~~でも、北九州の空の玄関は、あの場所で本当にいいのだろうか。かつて大分の友人が、北九州(海上)空港ができると、「大分空港が弱くなるかなぁ」と言ったことがある。北九州空港とは、その程度の影響力だったのだろうか。 

 北九州空港の前身、旧曽根飛行場には少年時代2度行った。伯父が名古屋に戻るのに、当時の「日ぺリ」(のちのANA)を利用したのを見送った。曽根飛行場はまだ定期便が飛ぶ前だった。いまでいうチャーター便だったのか、小さな英国製「デ・ハビランド・へロン」機が待っていた。
 このへロン機、セスナ程度のプロペラ2枚羽根のエンジンが、それでも4発ある立派な旅客機。わが目の前で、スチュワーデスさんに案内された伯父ら乗客十数人が乗って飛び立った。

 確か、伯父が見送り代に5百円くれたが、行き帰りはバスだったのか~~記憶がない。あの土ぼこりと草むらの曽根飛行場だった。もう一回は、森永製菓の御得意店舗へのサービスで、今度はセスナ機にイトコと2人で乗った。若松の伯母の菓子屋が森永ストア加盟店だったから、その余禄。北九州上空を一回りしたのだが、上空から見るとどこがどこだか分からない、当時はまったく平面的な景観だった。

 北九州空港の敵、福岡空港は、米板付基地返還後も依然、航空自衛隊に、第七管区海保航空基地を併設する。なんや、それなら北九州にも似たような、もっと適当な空港が整備されてしかるべきではないか。
 それが上記航空写真、遠賀河口域の「航空自衛隊芦屋基地」のこと。地政学的位置からも、北九州市でも成長著しい八幡西区、お隣中間市域など、さらに宗像田園都市に利便性がある。福岡空港のように芦屋基地の民間共用を本格的に目指すべきだ。

 航空自衛隊芦屋基地、その現基地司令は、なんと航空自衛隊で医官を除き、初の女性空将補、また自衛隊でも初の女性ジェネラル。全然関係ないが、新しい時代の息吹、そんな先進空気も感じる現地となった。
 (芦屋競艇は置いといて~)いにしえからの芦屋釜という文化、伝統もこの地は北九州の空の核と成り得る。
 東京都の最高指導者、石原慎太郎も「米空軍横田基地」を首都圏民間空港に!と言っている。親っさんは防衛庁長官もやった福岡県第9区、世襲系のM前代議士も、赤ジュウタンを再び踏みたいなら、いまや機は熟した。防空識別圏どうのこうの言わず是非、考えるべきではないか。

 ところで、芦屋、あしやと騒ぐ、わが原風景とは~映画「あしやからの飛行」~1964年公開というから、愛宕が丘を脱出し、まだフラフラしていたときか。小倉か東京か~どこかの映画館で見た。ユル・ブリンナー、ジョージ・チャキリスに、日本の女優も出た大映との共同制作とか。映画の筋は忘れたが舞台は、神戸の隣の高級なとこではなく、遠賀の「芦屋」。まずは映画館に貼ってあったスチル写真の、当時新人のおフランス女優、ダニエル・ゴーベールさんの”清楚な”姿が眼に留まった。

 でも、このダニエ(ー)ルさん、女優度を増すたびに大胆に大胆に~「R18指定」以上のエロスの世界に行ってしまった。実生活では当時、中米ドミニカの独裁者トルヒーヨ将軍の御曹司ドラ息子への玉の輿、さらにスキー界の伊達男、ジャンクロード・キリーとも結婚。見逃したが、米プレイボーイ誌には大胆な姿態を~~もあったそうだ。清楚から妖しく花開き~~でも1987年、44才にして見事に散り去った女優さんだった。
 芦屋~~「あしやからの飛行」~~とんだ話を展開したが、福岡空港に勝つためにはこの芦屋が必要と確信する。でも、地政学的には東筑を利することになってしまう~~~、チョッピリ懸念もある。

2012年10月20日土曜日

湘南江の島界わい ものがたり(18) エッ!宗像大社から勧請?


                
                                              阪東湖人


 「歌は世に連れ世は歌に連れ」~~NHK懐かしのメロディなんていう番組の冒頭、こんなセリフが流れましたねぇ。江の島もなんか、時代とともにその「云われ」も相当に変化したようです。厳かなる江の島の歴史も、岩本楼 www.iwamotoro.co.jp/ のHPをたどり、「江の島観光案内」をひも解くと現われます。
      ~が~実は江の島も、時代とともに「云われ」が変化しています。
 そんでぇ~~いまじゃぁ「江ノ電島」とか、「江の電砦」とまで、陰口が聞かれるようになりました~~まぁ、歴史とは、そんなもんでしょう。
 ところで「江の島観光案内」では~江の島の3つの宮(辺津宮,中津宮,奥津宮)を江島神社と呼ぶ。それぞれ海の守護神の女神が祀られている。辺津宮はその本社でタギツヒメノミコト。建永元年(1206年)に僧良真によって荘厳な社殿に遷宮され~(エライ時間飛ぶが~)昭和51年(1976年)に改築された~と、なります。

 ~上写真は”箸休め”。英 St Michael's Mount 再登場~まぁグローバルに、ものごと想像しましょう~~

 (続けますと)イチキシマヒメノミコトを祀る中津宮は、慈覚大師により仁寿三年( 853年)に創建。~~(エライ時間飛ぶが~~)元禄2年(1689年)に再建、また~~(エライ時間飛ぶが~~)現在の社殿は 平成8年9月に大改造。商人や歌舞伎界から寄進された石燈篭など、 当時の江の島詣での盛況がうかがえる。
 では奥津宮は?ン?? この岩本楼”支配下”「江の島観光案内」ご説明では、それがないんです。

 それとは別にこんな話も聞きます。明治以前の江の島には岩屋本宮・上之宮・下之宮の三宮があり、岩屋本宮(中之坊)には岩本坊、上之宮には上之坊、下之宮には下之坊と別当寺があった。岩本坊(注,のちの岩本楼)は三坊の頂点にあり、唯一院号の使用を許可され岩本院と称して江の島全山の惣別当をつとめていた。

 上之宮は現在の中津宮、下之宮は辺津宮である。本宮は岩屋で、「現在の奥津宮は」本宮御旅所と呼ばれ、岩屋本宮の管理下にあった。江の島では寺の僧は神社の神主も兼ね、圧倒的に仏教的色彩が強く、神社は中津宮や奥津宮の建物を見れば分かるように小規模。

 (そして明治の世~)神仏分離令で江の島の坊主は還俗し、「神主」になった。全国的に仏教、寺は廃仏毀釈により、建物や仏像、文化財が破壊された。(実は、鎌倉もこのあたりに”暗黒時代”があるのです。ずーっと、ずーっと、武家の都をとどめたわけではありません)
 江の島の仏教的色彩は皆無となったのだが、でも平成5年に江の島大師が再建され、仏教的色彩が戻ってきた。~~こんなん~~もう、無茶苦茶やわ

 また、関東において、宗像三女神が祭られている代表的な神社が江島神社ということになるそうです。なんや、もっともっと明治の世における廃仏毀釈&国家神道確立への道~~その臭い、フンプンですねぇ。われらが九州宗像大社の流れは、アジヤ大陸、朝鮮半島との縁が色濃く、相模灘の江の島とは、全然関係ないと思いますが~~

 ところが、はだか弁天さま~~「江の島観光案内」ではこんな話。欽明天皇(539年-571年)の時代に天から現れた天女とか。 
~~江の島の対岸の悪龍を退治した天女が武威を備えていると信じられ 源頼朝らが尊崇したとされた。~~その後、戦乱の時代を経て江戸時代になると、琵琶を抱いて音曲を司る妙音天女(はだか弁天)に姿を変え、武士ばかりでなく、 商人や芸人などにも広く慕われた~~

 まぁ、ぐちゃぐちゃ引用すれば長くなります。が、実に都合のよい話を持ってくるもんと思いますねぇ。欽明さんは、朝鮮半島に縁が深かったならば、そのついでに、江島神社は宗像大社のルーツに「牽強付会」するも可ですが、では、はだか弁天さんのほうは~??~~、それで弁天さんは、辺津宮の境内の奉安殿に別にあるのか~~と、納得できるような~~できないような~~~まぁ、来年6月6日、屁理屈は言わず、まず行って見ることが先ですかねぇ。

 ~~弁天サンに結構こだわるのは、幼児時代の記憶ですが、洞海湾若松にも弁財天神社があるからです。いまじゃあ~若松南海岸通り(バンド)と、なんや上海みたいオシャレですが、かつては競艇場直行のアズキ色若松市営バスが走り抜ける場所。~~「べざいてん」とか「べんてん」とか、地元で言った波打ち際の神社のことです。

2012年10月18日木曜日

「爽快に続け! 倉高健児ゴルフ」&引退「うるさジジイ」の繰言

              

                                              阪東湖人


 メールで倉高健児ゴルフ世話役の某君から年次ゴルフ案内。いつもは封書の案内状なのに~と思い読むと「手紙が宛先不明で戻った」という。とりあえず「ご手配、いつも忘れず、恐縮の限り~~しかし、ゴルフセットは処分しました」と返事した。でも拙宅を宛先不明とは~~某君手紙、住居番号末尾が隣家となっていただけ。かつて、はるかアフリカ・ジンバブエに手紙を送った。半月経って「宛先不明」で戻った。こちらの手落ちで、英国式私書箱の番号末尾1か2を間違えた。旧植民地はこんなものかとあきらめたが、今回、ご当地郵便局での「アフリカ程度」の扱いにはビックリ。

 早速、日本郵便株式会社にメール。「~~郵便局はアフリカ奥地並み。拙宅には自慢じゃないが連日、税金督促状や、未納会費請求が届く。配達員は左手にそれを持っているはず。~~郵便局は近衛公の別邸脇、栄えある特別局だったはずだが、いまや場末。現状サービス、アフリカ並みを脱却すべく、ご本社より~~郵便局長以下に叱責と督励方を切に望む」と(むなしくも)遠吠えした。
 それには某君から、「~~いささか穏やかじゃないね。うるさいじじいになりつつあるね。老化現象は着実に進んでいる。なにごとにも些細なことには目をつぶり穏やかにね」との”お叱り”を頂戴した。
 
 いやぁ、ゴルフ~この倉高健児ゴルフなら、実に「小春日和の爽やかな青空のもと同窓の仲間とともにワイワイガヤガヤ」と楽しめるのだが、かつて自慢した1,2,7番アイアンも親類の若者に譲ってもうない。

 おまけに老化現象は着実に進んでいる。思えばゴルフ、よくやったな~~と思う。ここで一度だけ、わが総括、「爽快に続け! 倉高健児ゴルフ うるさジジイの引退繰言と思ひ出」を是非お許し願いたい。まぁ、うるさジジイの繰言、たわ言は無視、諸氏の写真だけ見て貰う手もあろう。

 大宅壮一が「緑の待合」と言った日本ゴルフ。企業社会ではわたしも接待ゴルフを拒む野暮はなかった。ゴルフ後のサウナ&マッサージ、寿司屋、そして高級クラブ。ハイヤーで帰宅。一方で異常なまでの「エチケッ
ト・ルール」。市民生活で紳士でない奴ほど「エチケット」「エチケット」と騒いだ。
 コンペの「エチケットリーダー」も戦中翼賛会の臭い。わたしのいた、戦後成り上がり企業の社長は、「自分など、”財界人”としてはキャディ上がりの身~~」など抜かし、東京ビジネス界で失笑を買った。

 拙宅近所には青木功がそのキャディだった名門ゴルフ場があり、最寄駅では特権階級の名残なのか、揃いの舶来ブレザーに大そうな革鞄という、日本独特のゴルフ紳士達にいまもよく出会う。メンバー様のゴルフセットは倶楽部保管で、ビジターは宅急便が今日。JRはグリーン車利用。
 若き日の昭和天皇が三つ揃いで楽しんだ時代があった。その「大正時代の野球帽」風シャッポ姿までくだけた現代ゴルフ。でも行き帰りは、ブレザーにステータスシンボリックな革鞄。東京駅ではスチュワーデスじゃあるまいに、3人分の足場を邪魔するゴロゴロキャスター付キャリーバッグを転がす旅オヤジがいる一方、ゴルフ紳士は重い革鞄を下げ、(アレなら楽なのに~と)ゴロゴロバッグを横目でにらんでいる。

 「ゴルフケース」はとうとう、日本では未発達。アメリカではゴルフバッグでなく、ハードケース化した「ゴルフケース」がゴロゴロキャスター付き。そのままゴルフカートに積む。またカートはコースの中を、ミズスマシのように左右、斜め上下、自由に動けるのも日本と違う。カートは目線が高いので、ロストボールもよく見つかる。1プレーで1ダースは拾える。服装はNYですら、プレー中も帰りも一緒だったり、まちまち。ジャージ姿も。

 ゴルフ場近くの家から幼い少年が、濃縮ジュースを薄めて入れたポリタンクを抱えて現れる。生温かい1杯が1ドルとは高いが、幼児から自活を教えるのがアングロサクソンだ。「お金を集めてポキモン(ポケモン)を買うんだ!」と言ったこのティミー君。離れた場所から、じっと見守る親がいた。

 環境配慮「ティー」は木製でメーカー宣伝ロゴ入り。米東部で南部進出日本食品メーカーのロゴ入りティーを拾ったときは、本邦企業戦士の営業活動に感激した。以来あちこちティーショットの場の、打ち損じで埋まっているティーを掘り出しコレクションにした。
 またかつて五大湖とリンクする鉄道の要衝、中西部ミネソタでは、巨大な貨車操車場と機関庫が土盛りされ、ゴルフ場に。ここでのプレー、機関庫屋根上からの打ち下ろしと、遠景には北米大河ミシシッピ。はるか2000キロを下りメキシコ湾に注ぐ、その雄大な流れとともに忘れられない。

 欧州大陸フランダースの真冬、スパイク付ゴム長を履いて薄氷シャーベット状のグリーンでボールを転がしたが、凍結ボールはすぐ止まって進まない。石畳に入ったOBボールは、とんでもない方向に撥ね、行方不明に。このスパイク付ゴム長とは、羊を追う牧童が、長い冬に使うものの転用だ。
 南半球シドニーで買ったカンガルー1枚革のゴルフシューズは、フランダースの酷寒でパックリ割れた。またニュージーランドでは、アイアンだけ使用可のゴルフ場があった。相当広くとも、ウッドは奴らの腕力ではコントロール不能、どこまで飛ぶやら~~

 一方、南洋では椰子のささくれ立った高い幹にボールが刺さった。また茂った熱帯樹のどこかにとどまって落ちてこないボールも。

 キャディが高価なクラブを、すり替えたりの話、中古ボールを新品に塗り替え加工する技は、元駐在員同窓諸氏が詳しい。「ティー」はプラスチック製輸入品で品薄。携帯ストラップのように紐をつけ、ショットで飛ばしてなくさないよう大事に使った。
 ゴルフ銘柄ではない、ホンモノ毒蛇コブラには二度も遭遇、陸軍演習場隣接のコースでは、「パリパリ~ダ、ダ、ダ~」と乾いた音がいつも。機関銃実弾を撃っているのも南洋ボケで気にならなかった。酷暑の下、スタミナ飲料には「リポビタン」のドイツビール割り、アボカド・カカオ割りジュースが一番だった。

 その南洋、グリーン以外では、かつてはタンポポ状の草が敷き詰められた。現在ではティフトン芝に替えられたと聞く。でも印度亜大陸インダス平原パキスタンでは、タンポポ状のまま。全土がゼネストの日は仕事にならず、日本の友人とゴルフしたが、ベテランのはずの彼よりもわたしのスコアがよかったのは、タンポポ状の草を熟知していたから。ゼネストで荒れた大都市カラチでの死者、重軽傷者多数とは、のちに知った。

 明陵関東でも拙宅近くで定期的にコンペをおやりの様子。でも、先輩後輩の階級社会、「エチケット」に「日本独特のゴルフ紳士会」の雰囲気やに~~
 老化現象は着実に進んでいるわたし、嗚呼、倉高健児ゴルフの良き思い出、和気あいあいで実に爽快だった。でも、まだまだお元気な「倉高健児」のみなさんは、これからも是非続けてください、新規参入もいいでしょう。なんたって「エージシュート」到達圏なんですから。

2012年10月9日火曜日

湘南江の島界わい ものがたり(17) たまに猫が乗るエスカー

                

                                              阪東湖人


 江ノ島といったらエスカーを忘れてはいけない~~というユーモアな指摘が地元発信のネットに載っています。「ものがたり(6)中井浜の櫓山荘跡が?」にある以下くだり~「江ノ電経営の有料エスカレータ『江の島エスカー』を使えば、石段を上がると20分かかるところ、わずか4分と、楽チン』~」など、陳腐な説明でしたが、こちらサンは~もっとオモロイ話、お伝えしましょう。
 とはいえ、”江ノ電島”の現場を経験しなければ、実感の湧かないペーソスでもあります。来年ぜひ、「江ノ電砦」の島とエスカーを体験して下さい。
 このような記述です~~

 ただのエスカレーターなのに有料という代物だけど、とりあえず乗っておこう。
「探偵ナイトスクープ」で桂小枝がいつ取材に来てもおかしくない。パラダイス(人のまばらなレジャー施設という意味)として。
「エスカレーター乗ったら景色見えるでしょ?」という期待を込めて乗ってはいけない。左右は広告ばかりの壁である。しかし、徒歩はかなり歩くので乗っておこう。
広告は一度設置されると交換されないから古いものばかり。リニ
ューアルされて新しくなったがそれでも古くなった。それがエスカー唯一の見所。
 たまに猫が乗っている。(と言うか殆どのタイミングで同行してくれるよ、鰯とかは、くわえていないけど。)どうやら昇りだけで降りがないので、エスカレーターの言葉を半分にして「エスカー」というらしい。

 というわけで、このエスカー使って、お待ちどうさま~~イヨイヨ、はだか弁天さまを拝観。ああ、ご公儀のもと、江戸の良民には、こんなんが扇情的だったんでしょうか。

 愛宕が丘の中間か期末かの試験終了日、みんなで、「風と共に去りぬ」を観たのは、玉屋向かいの映画館、第二中央(?)と記憶しますが、この劇場、それよりはるか前、「空中ぶらんこ」という洋画の大看板が(善良な小倉市民に)扇情的と問題になりました。
 イタリヤ出身の妖艶、ジーナ・ロロブリジーダのそれはそれは、グラマーな容姿が、電車通りに出現したのです~~安寧秩序がお役目の小倉警察署も映画館の真ん前。個人的にはニンマリ、でも公的には憤怒ポーズの署長サン、県内市川大門の最高幹部、警察本部長に早速お伺い~~~

 当局のただならぬ動きに業界側も素早く反応。ロロ(ブリジーダ)さんの網タイツ・ビキニ風衣装艶姿の「ウェスト周り」が黒く塗りつぶされ、この市川大門の権威と面子は(野田どぜうvs胡錦濤さんのケースとは違い)守られました。

 ~ところで映画館や銭湯の看板描き、かつては東京芸大出の絵手も居たそうです(この話、どこかで聞いた気もする~~)。
 従三位、文化勲章、かの平山郁夫画伯ですら売れない時代、小中学校の黒板の年間予定枠白エナメル書き~この話、平山先生の甥御サンから聞きました。
 当時、この平山画伯の甥御サンは愛宕が丘同期T君の部下。T君は当時、NC旋盤など工作機械では世界トップ水準H社の重役でした。~~脱線、脱線でも、妙なところで人脈が浮かびます。

 ~~で、はだか弁天さまを観た皆さま、「なんや、コレ?」と思ったら、(江ノ電エスカーに下りはないので)江ノ電砦の石段をトボトボ降りて岩本楼 www.iwamotoro.co.jp/ に戻りましょうか。
 次回は、この老舗旅館、江島神社のことなど、世話人団の方々から、「この野郎!せっかくの努力を、誹謗中傷しやがって!」と憤怒の”差し止め請求”されない程度にとどめた、その全貌を暴いていきましょうか。