2012年9月12日水曜日

湘南江の島界わい ものがたり(15) 日本人妻名義で別荘を

              
                                              阪東湖人


 江の島の高台にあるコッキング遺構、わたしは、ガキ時代に探検した小倉北区中井浜の櫓山荘跡に似ていると確信しています。でも「牽強付会」とはこのことでしょうか。まぁ遺構、紀元早々のイタリヤ・ポンペイに、また紀元前はるかの印度、いやパキスタンのモヱンジョダロ~にまで時代は逆戻りですが~「どこも似たものであることは確か」~と、イヤハヤものすごい観察眼デス~
~ところで最近、尖閣問題で中国の「核心的利益」という言葉がシンブンによく出ます。サムエル・コッキングにとっても、この場所は、故国をしのぶ「絶対譲れない」心の拠り所だったのではないでしょうか。

 なんでもコッキングは、明治の初めに英貨2ポンドで別荘庭園を建てたようです。当時の2ポンドを邦貨に換算すれば相当なものだったでしょう~
~というか、明治初期の本邦通貨はまだ未発達だったとも。しかも、外国人は土地購入など出来ないから、日本人妻名義だった。

 ヨコハマでも、山手、元町がハイカラさんで有名ですが、一方、鶴見の高台が出船入船の眺望、交通の便が良いため、外人さんが数多くいました。いまは、埋もれた歴史になっていますが、皆さまが5年前に神戸北野界わいを歩かれた、あの光景に似たものだったのでしょう。 

 江の島にかかわる明治黎明期の外人さん~もうひとりは、ご存知、あの大森貝塚発掘のエドワード・モース。品川から東海道線、京浜東北に乗ると大森の右手に「大森貝塚どうのこうの~」という記念碑が見えますが、下の写真のように、江の島にも記念プレートがあります。
 明治初年の東大のお雇いガイジンのひとりで、この江の島に臨海実験所をつくったということです。モースは日本が気に入ったのか、生涯に何度も長期来日、明治黎明期の恩人のようです。
 若いころ、神奈川県内で御用聞きをやったわたしですが、モースが江の島に縁があったとは、これは知らなかった。
 
 富士山が初冠雪で、いよいよ秋になってくるようです。相模湾の海につかるのは、サーファーさんだけか。これからさらに冬、早春の光景は、来年6月梅雨時の江の島記念同窓会の参考にはならないかもしれませんがお付き合い下さい。
 もう時効かなぁ~季節はもう少し前だったか~40数年前に”宮中某重大事件”が、この海でありました。毒クラゲに、やんごとなき身分のお方が刺された~この項、これ以上は永久削除~
 まぁ、江の島記念同窓会ですから、ガイジンサンの話は以上オワリということで、次回はもっと本題の、みなさまのご関心がある江の島(いや、江ノ電島というべきか)のほうに進めようと思います。

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