2012年8月3日金曜日

湘南江の島界わい ものがたり(11) 小田急の祖と日銀法王




                                              阪東湖人


 いま絶好の海水浴日和。古い表現ですが浜辺はイモを洗うような人出~でも、湘南江の島界わいでは「海の家もおしゃれにヘンシンしている様子~~」と週刊誌が特集しています。なかでも鎌倉由比ガ浜海水浴場、ボードウォークまではいかないものの、ウッドデッキスタイルが主流とか。
 まぁトタン張り屋根にヨシズ~ゴザ敷き板張りで氷水~ラーメン焼きそばの時代は過ぎ去り~~ところで、来年6月6日の江の島記念同窓会は、この”年次大狂想曲”はるか前、喧騒はまったくないので~ご安心を。

 海浜には長らく住んだわたし。海水浴も十分、ああ南洋もタップリ体験で、盛夏に浜辺に近づく気分ではありません。で、テレビを眺めると関東地方では江の島が、毎度、定点観測のお天気カメラで映ります。

 さらに民放が、江の島海浜狂想曲を軽い”やらせ”というか、再現ドラマ風で放映していました。
 とにかく江の島エリアは、首都圏住民を小田急電鉄がかっさらってくる交通の便のよさ。まぁ、いろんな人がこの海浜に集まってきます。
 この小田急王国を築いたのが安藤楢六なる人物。別府生まれで旧制大分中(現大分上野丘高)出身。お役人目指すも高等文官試験に失敗、縁あって小田原急行鉄道に。
 戦後1948年小田急初代社長サン。なんと69年まで続けその後会長サン。”安藤テンノウ”でした。
 われわれ学生時代、「小田急は大分出身じゃなければ~オオイタ閥の会社~」などと言われました。

 同時期もうひとり、西独高級紙フランクフルターアルゲマイネを愛読、「法王」と呼ばれた人物が当時の日本国のサイフを握っていました。で、この法王サマは安藤テンノウの大分中の先輩。
 まぁチト落ちるが~~言うてみれば「堺町小出のかっぷくメタボに、中島小出の学者センセ総裁」のような関係。

 大分上野丘の名前は、高橋範義先生から「旺文社模擬西日本、またイチバンがウエノという上野丘の女生徒~」と、繰り返し聞かされました。叱咤する高橋先生には申し訳ないのですが、わたしには他人事のお経~~皮肉にも覚えてしまいました。
 十年ほど前空路大分に行った際、上野丘出のオバサマ方と、おフランス料理店で偶然ご一緒に。お近づきのネタに「旺文社模擬西日本の~」と、うかがったら、「アア~あの人ネ、九大医学部に~」で、話がはずみました。
 このオバサマ方、われわれより一学年下、この高級店のオーナーも上野丘出、おフランス料理での同期会でした。
 まぁ、今日の江の島界わい、それに箱根観光の隆盛は、東急、五島慶太と西武、堤康次郎のバトルの結果だけではありません。われら隣国、豊後別府温泉伝統の”観光ノウハウ”を、相模の国に導入という大分上野丘高の逸材、小田急、安藤楢六翁なくしては語れない。

 江ノ電の現社長、なんや篠笛が趣味という風雅さですが小田急出身です。江の島は別名、”江ノ電島”と、地元で言います。皆さまお泊り予定の岩本楼 http://www.iwamotoro.co.jp/ も小田急グループ江ノ電の、それはそれは強い影響を受けている様子です。
 ところで「若いお二人さん、この由緒ある宿屋はラブホテルではありませんョ!!」~~なんて、ネタミ深い、ヒヒジジイ的セリフはいけませんねェ。

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