2012年7月20日金曜日

湘南江の島界わい ものがたり(10)ボードウォーク欲しいネ





                                              阪東湖人


 九州地方の豪雨被災~日本列島の大部分は梅雨もようやく明けたと言っても、油断ならぬ天気模様~~
 繰り返しテレビが報じた「大分県では山国川が氾濫し~」の映像に、わが幼児期のおぼろげな記憶が重なります。
 中津の山国川沿い金谷にいた戦後間もない昭和23、24年ごろ、この福岡大分県境の川はやはり氾濫した~その詳細はのちに知ったものですが、まだ堤防もなかった時代の災害でした。また昭和28年の北九州大水害~足立山系の地すべりツメ跡は、ガキ時代に豊楽園球場で野球を見ながら目に入った光景。小倉高校そばの日明も、板櫃川の氾濫で大浸水被害をもたらしたこと。同期生の何人もが体験されたようです。

 でも夏到来という暦通りの行事が関東では行われました。湘南地域では藤沢、鎌倉など海水浴場での海開きは、いずれも7月1日でした。江の島の例を取ると、意外や、生まれは門司というタレントのつるの剛士さんが登場『海に遊ばせてもらっている』という感覚でごみを持ち帰ってもらい、楽しい思い出をつくりましょう」とあいさつ。現在、ふじさわ観光親善大使のつるの剛士さんは、藤沢市長とクス玉を割りました。万事派手好き湘南にしては、なんともジミなものでした。
 かつて海開きはメディアを意識、各地で競い合ったものでした。湘南三浦でも御用邸の町葉山はワンマンT町長が「関東地方で最初の海開き」を新聞テレビで報道してもらうため、域内海辺各市町の”開催期日”情報収集を陣頭指揮。当時、その努力で「海開きのトップは葉山」を定着させました。

 海開きが6月10日という年も。水着姿の葉山マリーナ社員の女性たちは、祝典に花を添えるはずでしたが、梅雨空の砂浜で震えたものです。さすがに各市町競争の「海開きイチバン乗り」には批判も高まり、逆にニッポン得意の自粛オンパレード~~その後は横並びになった様子です。

 ところで写真(上)は、おフランスの地中海岸ヴィラを思わせる~~相模湾に望む閑静な森の中の岩本楼本館。でも一歩離れると「イモを洗うようなヒト、ヒト、ヒト~」という表現でよく映像描写された、首都圏では交通の便がよい片瀬江の島海岸。湘南三浦の海水浴場の代表格です。それだけに地元には伝統産業、いわゆる海の家が育ちます。
 若いころ公務員を辞め、海浜でヤキトリ屋を始めた友人がいます。いまは街中で店舗を持っていますが、若さに任せた頃は「ひと夏で一年分以上の稼ぎ」と笑っていたものです。砂浜にカラフルなテントの海の家が並ぶのは、湘南の夏のシンボルですが、新しもの好きな湘南人なら、もう一歩抜け出てもらいたい気もします。

 それは「ボードウォーク」の整備です。写真(下)はトリップアドバイザー提供のアメリカ・ニュージャージー州のまぁ海水浴場、アトランティックシティーのボードウォークです。この大西洋岸の海浜には、さすが海賊の子孫のやること~帆船甲板のように角材をガッチリ張り詰めた”十三間道路”が数十キロも続き、ホテル、カジノ、レストランが並びます。 

 この写真より左先になる砂浜で甲羅干し、泳ぐ人もチラホラという光景です。歩き疲れて休息、フレッシュオレンジジュースを注文すると、ヒスパニックのおねえさんがにっこり、オレンジ6個を目の前で絞って出しました。

 まぁ、日本にこのボードウォーク??がないわけでもない、という人もいます。三浦半島はヨコスカ~~観音崎京急ホテル裏、約600メートルに自称ボードウォーク。
 「海と緑の一万メートルプロムナード計画」の一環として整備した遊歩道~~で、高潮防護機能があるとか~~ でも、鎌倉大仏サマの大仏殿が巨大地震による津波で流されたとか~~イヤそうではない~いろいろ言われますが、結局このミニボードウォークも高波”一襲”で跡形もなくなりそう~いかにもお役所仕事のニオイふんぷん~~デスネ。

 高潮防護機能~~といえば、片瀬江の島から鎌倉の湘南海岸は、”予想される”大津波無防備地域。いろいろ避難訓練もやってらっしゃるのですが、国土交通省サン、一度、発想を変えるわけにいかないのでしょうか。アメリカ大西洋岸は、最近日本のテレビでも報じる巨大ハリケーン常襲地帯。本来のボードウォークは高潮防護機能もあるようです。

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