2012年6月21日木曜日

湘南江の島界わい ものがたり(7)骨董、鎌倉はもっと高価



                                              阪東湖人
   
 原題は D-DAY THE SIXTH OF JUNE で、邦題「あの日、あのとき」。中学時代に若松の映画館で見ました。悲恋ロマンス、だが連合軍ノルマンディー上陸作戦も盛り込まれた作品。のちに1955年制作の米映画と知りました。
 おフランスはノルマンディー。この時期は悪天候で有名。でも1944年の6月6日だけは一瞬、天候が回復すると、英海軍気象部長が予測したのが歴史を変えた~~ああ、来年江の島もそうであってほしいデスネ。 

 で、アイゼンハワーが決断し、(民主党の輿石みたいなクセ者)英モントゴメリーも珍しく賛意示し作戦を決行~~このコーネリアス・ライアンの THE LONGEST DAY は、邦題「長かった運命の日」としてリーダ-ズダイジェストに抄訳が載りました。
 でも高校三年生のとき大門の洋画封切館で見た題名、あの「史上最大の作戦」でした~~わが遅れてきた軍国少年の思い出はこのくらいで~~

 で来年、まるでこのD-DAYのような「6月6日決行」とおっしゃられる江の島鎌倉記念同窓会。梅雨時の片瀬江の島海岸の天候、またアジサイがどうかとかの自然風物~平日の土産物街~みなさまのお気に召すだろうかとか~~老人性特有症候群、勝手に気にかかり~~台風一過の20日、江の島にまた出張りながら行ってみました。片瀬海岸では台風余波の高波を、このときとばかりのサーファーさんたち。海の家もパラパラ建ちはじめました。

 モノレール湘南江の島、江ノ電江の島の両駅から、江の島に向かう土産物街ですが、もちろんヒッソリ閑。でも英国家具装飾品とかアンティークの店、壊れたステンドグラスを何万円もの値段で売っていました。
 ~欧州で古い町並みを取り壊した際、ステンドグラスはガレキ処分していました。故オヤジのしゃべり口、遠賀若松弁で「あ痛! シマ(クリカエ)ッタ。アレ買うとればよかったバイ」~と、また思い出し残念です。

 明治40年代創業の宿屋を3年前に廃業、骨董屋に転業した石政の主人を再訪。いろいろ片瀬江ノ島裏話も聞きました。そのとき古陶器を求めて地元鵠沼の上流(?)婦人。「龍口寺でも骨董市があるわ」とか。鵠沼は昔は小説や映画でよく登場する超高級住宅別荘地。当時外交官OB、弁護士とか在住~だったそうですが、いまはまぁ、どうか~~~~。
  で、団塊世代の骨董屋主人からは皿と塗りもの買いました。「鎌倉で出すともっと高く売れるんだが~」と主人。もちろん岩本楼とはジイサン以来同業者仲間。
 「岩本さんはいいホテルだよ。うちの常連さんたちだからと言っとくよ。でも築地からバックしたここの魚では、九州の人じゃァ~向こうはゼンゼン鮮度が違うから~~まさか、しらす出してもなぁ」と主人。
 実際、室見川シロウオを食す福岡支部紳士には「なんやコレ?」と言われそう。

 実はわたし、先日は半世紀ぶりの帰倉でしたが、大分には過去二度JAL、ANAで空路しました。
 大分支店経験者の紹介で泊った別府の宿で出された魚。ヨコハマ育ちの同行者が戻って言うには、「(アレ以来)俺はモウ東京の刺身は食べれなくなった」~と、真顔。~そのとき同席の千葉船橋高校OB(野田佳彦の後輩か)、「こちらが古い?そんなことありませんよ!」とイキリ立った。
 船橋は魚の冷凍庫群は日本一とか。でもナンカ世界分かっていませんねぇ。船橋にフナ高~そんなお土地柄なんでしょう。
 ああそれから佳彦の「彦」のことですが~~その昔、美術室の午後でした。某さんが石膏像デッサンしながら、「わたし、~~彦というような男の子の名前、キザで大嫌い!」と言いました。「そうか、『彦』は嫌いなんだ」とわたしは当時は思ったのです。でも年を重ねながら、真意に気付きました。
 モテ男~~彦クン、同期にいたかなぁ~江の島に来るかなぁ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。