2012年6月1日金曜日

俳人久女、白虹を快刀乱麻 ”独断偏見"倉高先輩と思永中


                                              阪東湖人

  ユニークな「生前告別式」という、旧小倉中学35期にあたる大先輩ホームページがある。「悲劇の俳人・杉田久女とその夫・宇内」http://tawara777.blog48.fc2.com/blog-entry-2252.htmlと、さらに「恩讐の彼方へ」tawara777.blog48.fc2.com/?mode=m&no=2256 を興味深く読んだ。
 それは、文学はど素人のわたし向けに、あえて平易な文章で書かれたのか~とお見受けするほど。俳人、医師、小倉地元政治家でもあった横山白虹には、俳句同人の久女に、文学を超えた人間的な激しい”ジェラシー”があったと、この大先輩はみる。これは意外なことだった。

 わたしにとって横山白虹の最初の印象は、思永校歌の作詞者。しかもその中学時代は女優清川虹子への連想というお粗末で、白虹を女性と信じた。長じて白虹は男性で医師でもあると知った。また偶然、とある短文が目にとまった。~~「上京の際、定宿としていたホテルの従業員で、小説に才能のある若者を松本清張~イヤ”清張クン”とあったかも~に紹介した」~という内容。その若者とは、のちの推理小説の第一人者、森村誠一だった。

 ところで久女とその夫宇内とは、小倉中学美術教師の杉田宇内と妻、久女のこと。最近、杉田久女の俳人としての再評価が高まっているが、それは横山白虹が亡くなったことが大きい~と、杉田宇内の教え子でもあるこの先輩は断じておられる。わたしにはテレビでの白虹インタビューも記憶にあるが、好々爺だった。さらには、少なくとも人を見抜くことに於いてはプロ中のプロの柳路夫氏も、小倉時代から白虹に惚れこんでいた様子が以下にみえる。http://www.hb-arts.co.jp/091020/tsuido.htm

 古今東西、人は大御所に聖域を配するものなのか。身の程知らずにも法律で身を立てようと思った若いころ、古色蒼然だった刑法について、専門家から愚痴のような話を聞いた。
 「刑法大御所のO先生がご存命の間は、改正まかりならぬ空気なんだ~」というものだった。
 女王即位六十年を祝い、五輪も間近の英国だが、エリザベス皇太后が大往生されてからまもなく、英皇太子は念願の再婚を果たしている。はるか日本には、長寿慈母のごとく伝えられた英皇太后。だが英領インド皇妃としてこの収奪帝国の最期を見届けた皇太后の素顔は逆、実に強固だった。

 もはや歴史上の存在である人物群について、それぞれが自由に評価、感想、感慨を持てるのが現代である。先輩はまた文学上の清張サンにも辛い点を付けておられる。もし興味があれば先輩のホームページをご覧いただきたい。
 わたしも、清張サン初期の作品と体験した朝鮮戦争時の小倉描写は臨場感にあふれるが、終戦時の”帝都”とその後の事件を~謀略、謀略~としたのは無理があると思う。現にあるものは、明らかに間違いであることが白日の下にさらされている。浅学の身での”怪刀”乱麻ではあるが、一部、先輩と同感だ。
 

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