2012年5月7日月曜日

「ぬかみそ炊き~豊楽園~海山物産」 独断偏見小倉歴史考


                                      阪東湖人

 切り抜きはチト古いが、添付「同期のサクラ」で先輩がおっしゃる「~あくまで筋を通す」は、確かに豊前小倉武士の姿。また「小倉生まれで 玄海育ち~」直情径行~小倉の庶民も~筋を通すこと、チャ~ンと知っている。ましてやご当地現代のモノノフ、連立くっつきダンゴの身で辛くも得た永田町主要閣僚の座に恋々とする余り、恩義ある市川大門「カミツキ亀親分」を裏切るっちゃあ、オシマイっちゃ~~その亀親分の”テカ”、かつ愛宕が丘同期の市川大門元総本部K氏もカオがツブレタ。
 ~それに愛妻家はエエが、なんや国民の税金で夫婦海外旅行やて??
  「メガネのアンタやって、先輩たちが尊敬したブツ(大仏)山中長一郎先生の薫陶受けたろうが!!」。

 いきなり感情的導入から、冷静に冷静に~~魚町銀天街物語でも、昭和14年小倉地圖でも、藩主小笠原家は「寛永9年12月小笠原明石より来り~」とある。でも小笠原源流、総本家は信州松本平に、支藩は天竜川流域の伊那に飯田。小倉ぬかみそ炊きの淵源もそこに~わが独断と偏見を綴ろう。

 まず例として信州人が故郷の味として好む「塩イカ」。日本海のイカを塩漬けで運び込み、正月などハレの席でのご馳走として使う。信州人に招かれた際、塩イカをまるで高価なカラスミのようにうやうやしく出された。信州は諏訪湖を「諏訪のうみ」と呼ぶほど内陸だから塩イカは至宝海の幸。でもまるで塩を食べる気持ちだが、その塩も内陸では貴重品。
 浜に潮打ち寄せ、およそ魚など何でも獲れる「大空涵す玄海の~」地域では考えられない話。そんな小倉で新鮮な魚を、ワザワザぬかみそ炊きにするとは~小笠原の殿様の好物~いや小笠原父祖の地、信州の保存食を忘れるな~の家訓があったに違いない。
 信州のオサカナルート、まず日本海側ではサバなど、越後の糸魚川周辺の魚を塩漬け、ぬか漬けで運び込み保存。若狭ではヌカ漬けで醗酵させた「ヘシコ」が有名。明治の初めまで、日本海高速船の「北前船」交易で越前と豊前小倉は深く結びつく。あぁ祖父の後妻サンも福井の女性だった。

 ここで話を戻し、また信州へ。三河の塩、伊勢の塩漬け魚介も天竜沿いの飯田街道で、また「塩の道」中馬街道は三河から文字通りの信州塩尻へと続いた。かくして日本海側、伊勢・三河湾との交易の派生物が小倉名物ぬかみそ炊き~と、飛躍と独断、偏見による解釈が成り立つ???
 そりゃあアンタ、獲れたてをぬかみそで煮たほうが、古いものより美味であることは確か。加えて信州、それも南信と呼ばれる天竜河川域の伊那に飯田の気質のこと。これドンパチ現小倉任侠道とは違うイニシエ、誠の任侠道の社会。「玄界灘と暴れ天竜」のいずれもが高波としぶき~~~昔懐かしいレコード「伊那の勘太郎」は「無法松の一生」と並んだ。 

 さらに昭和三〇年代、ああこれも懐かしい豊楽園球場に、島岡吉郎監督率いる明大野球部が親善試合で来訪したこと。きっかけはこの写真のどこかにいる鬼塚格三郎氏。昭和二十三年、夏の甲子園全国制覇時の小倉高監督だ。はるか昭和初期、華の六大学野球での明大投手として神宮球場に伝説を残した鬼塚氏は当時、豊楽園球場至近にある住友金属に勤務していたのだ。 

 当時の林信雄小倉市長 (ご存知、添付写真中心の和服姿)は、駿優にして弱冠二十歳満たず高文司法科合格の弁護士なるも、明大出身でした。県議や戦前は代議士二期とか。ご子息はわれらの一期先輩で皆さんご記憶。
 林市長右の幼児を抱く老人は戦後初の小倉市長、同じく明大卒の浜田良祐弁護士。 「北九州市立大」、「全国初の競輪」、お盆迎え火「小文字焼き」の生みの親というアイデアマン。昭和三十年まで三期、小倉市長を務めた。
 文化面でも多才な人物で後段で記す杉田久女、夫君の杉田宇内とも深い縁がある。同五十二年に九四歳で没した。翌年、小倉競輪場にレリーフ「故浜田良祐翁顕彰像」が出来た。
 嗚呼、昔の政治家は懐が深かった~~冒頭の連立くっつきダンゴよ、見習うべし!

 で、この島岡監督も、くっつきダンゴと同じく”ビヤダルポルカ”。エラー選手には瞬間湯沸かし器となり、鉄拳制裁で名を馳せたが憎めないお人柄。直情径行、しゃべり方も小倉風。豊楽園球場でビヤダル監督を見たある学生野球ファン、「あの監督さん、ここの出身ねぇ?」と当分信じたが、島岡御大はるか大天竜流域の信州は飯田の出。
 手前味噌だが明大でわたしは縁あってこのビヤダル大監督から破格の、はえある野球部マネジャー打診あるも、鉄拳におびえ逃げた。まぁ機嫌を損ねること大だった。

 つらつら、この独断と偏見にも一部傍証が、板櫃町史研究同学のM君から届いた。それによると小笠原藩主はもちろん、小倉藩家老の犬甘兵庫の先祖につながる信州犬甘城は、名門松本深志高の近く。
 かの日、小倉北区中井浜櫓山荘に出入りした女流俳人杉田久女の供養墓もある。久女の親も松本出身らしい。また塩尻、松本につながる「塩の道」中馬街道の要所、愛知県の現豊田市は久女の夫君、奨学会杉田賞の礎、小倉中学美術教師の杉田宇内の出身地。いまや「世界のトヨタ」の地に夫妻の墓があるという。

 最後に余計なお世話といわれればそれまで~だが気になること~~また感情論か。今年6月の関東地方明陵同窓の集い。総会での基調講演者の名を知って唖然。「口も荒いが~気も荒い~」ではなく、口は実にうまく~時折々、耳に優しい語りの特注スーツ姿はタレント紳士。
 でも講演はアレェエ~以前聞いた話と変わったねぇ~と毎回感じる人も多々~このタレント紳士の出身母体にはわが身内も。関西にも南阿ジョーバーグ駐在経験の同期Y君あり。明治学園が昨年、著名政治評論家(タレント?)を招いたのは、その三宅久之氏には学園在学歴があったから。だが、「時代の潮流に合わせたイカダ乗りが得意な」タレント紳士~~イカダ乗り本場の、信州天竜峡出身でもなければ小倉高にも縁、ゆかりはなく、明陵関係者に”テカ”がいるだけの話。

 昔のテレビ、ドタバタ喜劇「スチャラカ社員」を思い出す。会社が舞台で名は「海山物産にヤマネコ商事」だったか~~小倉中学の大先輩たるコメディアン古川ロッパはスチャラカ社員の記憶にないが、横山エンタツは確かに登場した。タレント紳士も、エラそうなモットモラシイ調子でなくスチャラカ調でシャベくってくれるなら大歓迎~だって結局、内容は同じ、テキトーなんだから~

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