2012年3月7日水曜日

「NTT柏支店長が苦情電話に出るわけない」と思った~


                                                                                                                            阪東湖人

 受話器2個を両方の耳と肩の間にはさんでの受け答え~昔の株屋さんには負けるが、現役時代の電話機の使用回数とゴルフとは、恥ずかしながら同期生の誰にも負けないダントツ実績のはず。「電話ばかり使ってないで、会って来い!」とは当時の上司。また「針金(電話線)でなく、たまにはこちらにいらっしゃい」とのお得意さんの嫌味風ユーモアが、肩にはさんだ受話器から響いたものだった。

 電話局との縁も多い。地方から東京に戻る際、電話を移転させるのはまだ面倒だった当時、兄貴がNTT社員だからという同僚が”手を回してくれた”。
 転勤直前のある日、かかってきた電話は朴訥な茨城訛りで「▲▲センセイですか? ▲▲センセイほどの人なら(電話)線は2本必要です。すぐ引きますから」と否応なかった。実際、この朴訥さとセンセイほどの人~には参った。当時ファクスはまだ自動切換えでなく専用線が必要。のちに知ったのはこの朴訥社員こそNTT内で伝説の人物。統括するNTT柏支店エリアで、空前絶後ダントツ実績の営業係長だった。

 市外局番04という広大なNTT柏支店エリア。かつてM物産の社宅群があった。社宅脇の斜面に電話用コンクリ電柱が横倒しで何十本も束ねて積まれていた。斜面の下は通学路。電力の電柱ほど太くはないが転がり落ちると危険。実際、そのような事故もあった。M物産、警察、それとも娘の通う小学校、どこに電話しようかと考えたが、通りいっぺんの「連絡しときマス」対応で終わりそうなので、コンクリ電柱の主、そのNTT柏支店にコワモテ電話に出た。

 でもNTT柏支店長はかなりのエライさんで、苦情電話などに出るわけがない。空前絶後ダントツ実績の営業係長には「センセイほどの人が~」と返されそうだし、こちらも次長職経験ありで、支店次長に「カクカクシカジカ~地震があったらどうなる!コンクリ電柱撤去しろ。すぐ対応しないなら、シンブンに投書するぞ!」と息巻いた。相手も苦情には手馴れた様子。まもなくコンクリ電話電柱はすべて撤去された。

 当時(1990年)偶然だが、「ふるさと北九州市を考える会」会報をふと見たら、名簿にT大教授のNR坂君、以前セゾングループにいたN君、小倉西高出身で一度どこかでご一緒したS藤さん(M商事秘書室)とともに、元生徒会総務、久野君の名前。アレッ! NTT柏支店長だった。
 それからまた、浮き草稼業の掟で各地を転々。とうとう久野君にこのエピソードを伝えることも出来なかった。おまけに電話ときたら、あのときのダントツ実績の営業係長からの「おだて追加一本」に加え、もう一本も電話局預け。で、都合3回線をいまだ保持の身。ケータイも次々に高機能化され、新機種の売り込み電話とメールが”シャーシい”昨今。あの朴訥な声で「▲▲センセイですか?」の営業係長は実にスゴ腕だったと、いまさらながら思う。

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