2012年3月10日土曜日

「オヤジバトル! 」と自分史 学区外 若松ものがたり(下)

阪東湖人

 NHK北九州開局80周年記念ドラマ「オヤジバトル!」には、再活性化を願う若松の商店街が登場する。明治32年に北九州で初の家庭電灯、水道は門司とほぼ同時(異説*若松の上水道設置は九州では長崎市に次ぐ、大正2年末の戸数約6200に60%の普及率)、都市ガスも戦前から市内全域に張りめぐらされた若松。ニッポンイチの石炭積出港は昭和30年代まで元気モリモリ。目抜き通り「中川通り」は名物貨物電車が走り、市営バスは一攫千金ねらう若松競艇への客をフル・ピストン輸送。街に札束が舞う一方、当時大作家の火野葦平を見かけもした。

 そもそも官営製鉄所登場前の八幡・若松は「洞の海」一衣帯水。恥ずかしながらわたくし的ルーツの一つ若松に母方の大祖父。この山師は日清戦争の開戦直前、軍の竹材大量調達を見越し、山口、島根と回って買い占めた。その金で若松の中川堤(のち中川通り)左岸を入手。あざとい商才に加え、”ロマンス”も多かった大祖父は、そのうちのある娘(大叔母)にだけ財産を残した。
 人生早く、夫と子どもを亡くした大叔母は、舞踊、観劇、マージャンに明け暮れ、本業の和菓子屋経営は使用人任せ。でも税務署には腰が低かった。土地も太平洋戦争時に多くを手離したが、和菓子屋周辺の一等地は守った。

 まあ新開地若松の女性はこの大叔母も含め、女だてらばかり。女侠「どてら婆さん」を幼女のころ恐々見たというから、そんな風土だ。でも高級洋菓子を扱い始めたら、土地であまり見かけない上品な院長夫人がお得意さんに。なんと吉田修先生の1年7組で一緒W君の母上。W君はいまその院長。またはるか昔、若松の幼稚園での仲間、H君も同じクラスになった。

 一方、大叔母から和菓子屋を「譲りたい」との話があり、前座でお気に入りの姪、母が手伝った。私を引き取り店の後継者にとの流れにも。だが血縁分上乗せで激しい"オンナバトル! "の末、訣別。大叔母は若戸大橋完成直前に死んだ。でも「姪には知らせるな」と言い残し、死は長らく伏せられた。遺言書には土地建物など「譲る」と書かれた母の名の上に朱線二本が引かれ、訂正印が押されていた~という。
 最期を看取った”縁者”が養子になった様子で、遺産はそっくり任せた。もとより父親は大叔母とはそりが合わず、また河合校長の父、若松中(河合)安禄山先生の薫育”男の美学”かどうか~「女房方の財産など、とんでもない」と一顧だにしなかった。でも大叔母からオモチャを買って貰ったわたしには未練があった。

 いまグーグルアースで中川通りを上空から見ると、大叔母の和菓子屋の通り向かい、オモチャを買って貰った「わだや」と、和菓子屋隣りの香川カメラが健在。大叔母が妙に”張り合った”創業百有余年の料亭「金鍋」も伝統の姿のまま。だが和菓子屋も、またそばのしゃれた帽子屋も、もうない。
 歴史に「もし」は禁じ手だが~”我をして大叔母の遺産相続たらしめば”~「オヤジバトル!」に”老商店主”で登場したのでは ~実際、地元商店主の皆さんが全編、エキストラで活躍する、福岡発地域ドラマ「オヤジバトル!」は3月17日(土)午前零時15分から、NHK総合で~オシマイ~

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