2012年2月23日木曜日

小倉北区 中井浜ものがたり(前)=櫓山荘跡編

                                                                                                                                     阪東湖人
                                                                                                                                       

 ~西テツ電車が市街を走る記憶のまま~故郷を離れ半世紀人間の最新情報ネタ元を明かすと「北九州のあれこれ」というHPがその一つ。そのなか「北九州展望」の巻にあるのが櫓山荘跡=小倉北区中井浜だ。「かつてこの櫓山荘には、作家の里見弴、久米正雄、宇野浩二、作曲家の中山晋平、童話作家の久留島武彦など多くの著名人や文化人が訪れ、北九州にサロン文化の花が咲きました」とある。櫓山荘は響灘~いや小倉高流だと~大空涵(ひた)す玄海~に臨む、白砂青松の海辺の高台にあった。

 が、まぁ文芸世界には無縁の半世紀人間。この櫓山荘には別の面での思い出がある。小学ワルガキ時代、仲間とこの場所を「怪人二十面相の隠れ家」と信じて探検に出掛けた。境川側から崖をよじ登って到達した櫓山荘洋館はまだ、わずかだが原型をとどめていた。いま思えばサンルーム(当時は小学校にもある温室と思った)のガラスはコナゴナ、まったくの廃墟。でも「確かに怪人二十面相がオル」~ワルガキらは、妙に納得したものだった。

 数年前に12期生HPで、RKB毎日による「探検! 九州 小倉高校・日明かいわい」の収録DVDを関東在住者が回し見をしているのを知り、当時の管理人先輩Kさんから無理に借用、むさぼり見た。案内のRKB北九州局白木正四郎アナ、どこかで見た顔と思ったら白木正元旧戸畑市長の息子。それはさておき、DVDにはもちろん、小倉高も登場した。でも半世紀人間が最も注目したのは櫓山荘から南になるが、昔の九州工業高校で現真颯館高校と北小倉小の間の坂道の名称のこと。白木アナらの声は「▼▲タマ坂」と、▼▲部分は音声消去の”不自然な”ものだった。

 ▼▲タマ坂~実は当時の周辺ワルガキらには有名な坂道の名だが、その場所はこの日まで、真颯館高校わきの西テツ電車道に沿う坂道のことと信じていた。当時、遠足で乗った西テツ電車内でみんなが「▼▲タマ坂、▼▲タマ坂」とはやしたて、先生に怒られた。ところで北小倉小とはいつ出来たのか?~ワルガキ時代、この地は鉄のバールを使って度々ベンケイガニの巣穴を掘り起こし、農家の人に怒られた場所だった。
 でも、戸畑区と小倉北区を分ける境川沿い、この中井浜ものがたり~文芸と少年時代の郷愁だけの世界ではない。それは次回に。

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