2012年2月4日土曜日

まぶしかった遠い日 中間にある埴生公園の思い出


                                              阪東 湖人

  東筑高校の”門前町”という表現が適切か、折尾駅周辺の連続立体交差事業が進められていると聞いた。平成31年度までに完了予定とか。明治24年に日本初の立体交差駅となった折尾駅。現状の筑豊本線が地上ホーム、鹿児島本線が二階ホームで交差するさまが一変し、鹿児島本線、筑豊本線、短絡線ホームのいずれもが並んで高架化される。九カ所の踏切がなくなり、駅周辺はすっかり生まれ変わるという。

  その折尾駅で思い出すのは遠い昔、 小学生の日曜日。父親が突然「埴生公園に行こう」とわたしを連れ出した。八幡、黒崎と過ぎ、折尾駅で乗り換えた。この日本で初の二階建て交差駅は小学生には興味津々。乗り換えた筑豊本線は中間町(当時)にある筑前埴生駅で降りた。すぐそばの公園、それが埴生公園だった。大きな池を取り囲む柳だったか、水面に映える緑がまぶしかった。初夏だったと思う。

  埴生公園にベンチがあったかどうかは忘れたが、そこにもう一つのまぶしい光景が出現した。30歳半ばかの女性が待っていた。父親がその女性に「この子だ」と言った。さらに「このおばさんと話がある」と、二人はそばの料理屋に消えた。小学生のわたしはひとり一時間近く公園で遊び、やがて父親が現れたが、その女性はもういなかった。父と子は、また折尾駅経由で帰宅した。ただ小学生の関心ごとで母親には「折尾駅と公園に行った」とだけを伝えた記憶だ。

  そのときの父親の年齢をはるかに超え、老域に達したいま~~週刊こどもニュース「そうだったのか!」の池上某ではないが~~ハタとひざを叩かんばかり、当時の父親の行動を理解できた。不器用な男ではあったが、そんな大そうな冒険もあったのか、と。
  われら男の子それぞれに「わが青春のマリアンヌ」の鮮烈な思い出を持つはず。再び会うことのないそのマリアンヌを生涯忘れない一方、妙齢のご婦人に心を奪われることも、これまた生涯、何度かあろう。そんななか遠い日、まぶしかった埴生公園と父親のあの冒険を思い出した。
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