2009年10月25日日曜日

目指せ! 母校未来への遺産づくりを(阪東湖人)


 いまや政治の世界も「ハコモノ、コンクリから人へ」と転換中。思い出話ばかりではなく、未来志向の話題・提言をと心がけます。それを先取りした事象を垣間見たからです。2009年3月、創立100周年を迎えた久留米高校の徒歩1分ほどの場に「久留米高校前駅」ができたことがそうです。JR九州の久大本線のこの新駅、全国でも公立高の名を冠した駅はここだけとか。さすが進取の気象の土地、久留米。昔、婆さんが「久留米のモンは、小倉や八幡モンに比べ目先が利いとる。気いつけにゃ」と、遠賀八幡弁でつぶやいた姿を思い出します。

 また昔話に入りそうなところをとどめ、地政学的本論を。まず修猷館の校門の脇は地下鉄「西新駅」であり、また身近な東筑も折尾駅前500メートル、名物かしわ飯の東筑軒も至近で、芳しい匂いもただよってきそうなことを指摘。いずれも地の利を得た学園ぶり。創立100周年久留米高校の場合、同窓会を中心に平成15年から四万人以上の署名を集め、新駅実現にこぎつけたのです。

 いまや小倉高校の学区は、門司、小倉北区、小倉南区、戸畑とワイド版の様子。かつて倉高健児は西鉄バス、電車を大門で下車、日明まで歩くのが伝統であり、誇りでした。でも時代は変わり、いまやスーパーサイエンス高ならば地の利は必須。一方東筑が復権著しいのは、折尾という交通の要衝にあるからです。かくして次期、創立○△周年の際には、是非「愛宕小倉高前駅」創設をと提言したいのです。久留米高校前駅実現への一番の追い風は、大枚をポンと投げ出した同窓会の大ボス格、建設会社オーナーとか。そういえば我ら同期生にも建設会社オーナーがいますねぇ。

 
 新駅の目標は日豊本線沿い菜園場、金田付近。付近にはJR小倉工場があり、裁判所に検察庁など官庁群、文化施設にも至近、十分目玉駅となり得るでしょう。名称は運動部には思い出の石段のある愛宕神社から。京の都が起源でもある由緒ある神社を挙げてみました。駅は実に人間くさい空間。決してハコモノ、コンクリではありません。母校の「未来への遺産づくり」でありたい「愛宕小倉高前駅」実現には環境醸成が必要です。そこに求められるのは、久留米高に負けず劣らずの明陵同窓会員のエネルギー。皆さんはどう思われますか?

 人間くさい駅と学園の関係、これは私的一族の歴史から興味を持ちます。長寿だったひい婆さんは、遠賀郡八幡村大蔵の出。いまや幻の九州鉄道大蔵駅前に住んだことから周りは「ステンショのごりょんさん」、身内は「ステンショのばあさん」と呼んだ。ステンショとは「ステーション」、ごりょんさんはまあ「奥方」のこと。ステンショばあさん宅の別棟は、製鉄所お雇い外人、ドイツ人のトッペ技師長に借り上げられていた。この偉いトッペさんにあやかったトツロウという奇妙な名だった息子(わが大叔父)は、大蔵駅~黒崎駅~折尾駅と、汽車通学した旧東筑中一期生。残念ながら小倉中は雌伏揺籃の時代でした。

 九州鉄道大蔵線は小倉北区・八幡西区境界に、いま歴史記念物として赤レンガ積みアーチの茶屋町橋梁をわずかに残すだけです。オジ、オバたちはこの鉄道跡道路を「旧線路」と呼んでいましたが、現代の若い人にはそれも通じないでしょう。いま大蔵駅跡は大蔵公園ですが、なんとその真下には新幹線トンネルが走っています。旧縁者には実に感激の贈りもの。無骨な旧国鉄も粋な計らいをしてくれたものです~~ああ、やっぱりオヤジ・ジジイ、また昔話。でも駅とは実に人間くさい物語の場となり得るからであります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。