門司2号岸壁に繋留されており、船首は無残にもつぶれていました。周りには見学者が数十名、ほとんどの人がカメラで撮影していました。
コンテナ船はスピードの出し過ぎで、先行する船に追突するのを避けるため、左へ旋回し護衛艦の航路を塞いで衝突したようです。航行している護衛艦をレーダーで確認していたのだが・・・
写真を撮って帰りに西海岸1号上屋の壁面に「わたせせいぞう」の絵があるのに気がついた
関門の花火大会の時にもこの場所に来ていたのだが夜間だったので気がつかなかった。
次の3つが描かれています。殺風景だった上屋の壁面を明るい絵で飾っています。
護衛艦「くらま」衝突写真 あまりに鮮明でビックリです
返信削除テレビや新聞では、この関門海峡での護衛艦「くらま」衝突事故は、門司港岸壁の柵越しの写真ではっきりしなかったものです。だが、この写真はあまりに鮮明でびっくり。戦前なら「下関要塞司令部不許可」~の軍事機密(^^;)(^^;)でしょうが、平和国家ニッポンのいま、そんなものありません。
思い出すのです。永山先生の口角泡を飛ばす世界史の授業。「ガレー船はへさきから敵軍船に突入~」と、黒板で解説してくれた古代ギリシャ・ローマの何とかの海戦。
また軍艦では二次大戦中の1943年のソロモン海域。日本海軍の駆逐艦「天霧」は、ケネディ中尉(のちの大統領)が指揮する米魚雷艇を発見し、急きょ艦首をケネディ艇「PT-109」に向け高速で突っ込み~(略)~天霧の艦首は少破、そのまま海域を去った~は映画にもなりました。
ところで護衛艦「くらま」に戻ると~~艦橋上部両舷の白い豆球のようなものが、対艦ミサイル百発百中の「ファランクスシステム」機関砲のレーダー。それにしても衝突した「くらま」艦首、まるでアルミ缶をつぶしたようにきゃしゃ。艦首は柔構造なんでしょうか。
まあどうも私、平和憲法にそむく「遅れてきた軍国少年」みたいでスミマセン。恥ずかしながら若い頃、軍港ヨコスカ勤務だったもんで、このような写真を見ると、当時いろいろあった米海軍、海上自衛隊の事故など思い出すのです。(阪東湖人)