2009年9月22日火曜日

老カメラオタクの珍うんちく (阪東湖人)


当時の玉屋デパートカメラ売り場のショーウィンドーの奥、燦然と輝く西ドイツ製高級写真機「ライカM3」にあこがれを持ちつつ、このM3に似せた距離計式等倍ファインダーを持つコニカで満足していた小倉高当時の私でした。

何を言いたいのかというと、関西地区同窓会写真集の中にある「佐藤さん写真展」の一コマの衝撃です。紘一さん、”菊次”さん、大久保さん、宮地さんたちが並んでおり、佐藤作品集が飾ってあるのですが、私の目は左に並べられた超高級35ミリカメラの方に吸い寄せられてしまうのです。

ライカM3、いやM2の方かも。ライカⅢFにトリガーレバー巻上げキヤノンか。なんとコンタックスも。それもまぼろしの露出計付き「ユニバーサルコンタックス」まで。まさかソ連製キエフカメラではあるまい。コンタックスは距離計の有(効)基線長が異常に長い~~ああわがニッポン~ニコンはコンタックスを、キヤノンはライカをまねた~~



ところで福岡地区同窓会の高千穂峡旅行のコマの中には「岡城阯」の今日が写っています。実に懐かしい。昭和35年夏の小倉高校久住登山の際、そのライカには及ばない等倍ファインダーのコニカで撮った岡城阯、おまけはボンネットバスが並ぶ久住飯田高原牧ノ戸の風景を添付。いずれもまだ戦後を引きずっているようでもあり、ほっとする光景でもあります。



われ故郷を離れて早半世紀、15期新ホームページの皿倉山の写真に、これまた昔を懐かしく思い出しました。36年正月大雪の皿倉山頂と見おろす八幡市街の様子、書類整理の間から出てきたものです。この撮影もコニカ(ヘキサノン50mm F1.8)で。


社会人となってようやく後期型ライカM3を購入、レンズはカナダ・ライツ製ズミルックス50mmF1.4、それにキヤノン28mmF3.5を使い、相当酷使しましたが、真鍮ボディーは戦場カメラマンも使った頑強さ。また実はライカM3のファインダーは等倍ではなく、0.92倍、M2は0.7倍。いずれもブライトフレームの枠は距離も補正、ほぼ100パーセントの正確さ。さらに距離計の二重合致像の精密さは他のカメラにはない。

水泳・流体力学が専門の15期Kさんのカメラーメーカー在社時代の話。同窓会で彼が言うには「今度の新型一眼レフ、最初の500台はかなり気を遣って製造した。早めに買う方がいいよ」だった。新聞社の写真部では、2、3年に一度は社有カメラを総入れ替え、旧型機は売却するが、オークションはいつも異常人気だった。またラリーで有名な乗用車メーカーの友人がいうには、「メーカー(ファクトリー)チームのラリーカーね、アレはエンジンもボディーも採算度外視で、市販スポーツカーとはまったく別物」と言うことだったが、オークション異常人気の新聞社保有のカメラも、どうやらそういう種のものだった~~
~~~なにやら脈絡なくニョゴニョゴ、ゴタゴタ~~結局は老カメラオタクの珍うんちく、この程度で。

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